#9 濃縮ジュースの嫌な予感

 母の容体が安定してからは、心のゆとりもできた。
 太郎くんの免疫低下のサインも見逃すほど、緩んでいた。

「太郎くん、こっち見て! お母さんにメッセージ言って」とねだったり、「クーン、クーン、クーン」と甘えた鼻声を言わせたり、無理矢理おもちゃのロープを振り回して動画を撮った。いわゆる“やらせ”だ。

 入院で一番つらいことは、太郎くんに会えないことだと私は経験済みだった。だから、母を勇気付けるためにも、せめて太郎くんの写真や動画を送ってあげよう、と。しかし、太郎くんはスマホのカメラを向けられるのが嫌いだった。ぷいっと顔を背けたり、嫌だなというオーラを発する。

「もう、撮らせてよー。いいじゃん」と言いながら、私は毎日撮り、母に送った。

 これまで、こんなに毎日太郎くんを撮ったことはなかった。太郎くんがいることは家族なのだから当たり前のことだった。家族の写真なんて毎日撮るわけがない。とはいえ、かわいいわが家のアイドルをを自慢したいのは、どの家族も一緒だ。私は、Twitterでもインスタ でも専用のアカウントを作成していた。でも、カメラを嫌がる太郎くんを知っているし、私自身もそう毎日できる性分であるわけがなく、トリミングした後やお出かけした時などの特別な時だけの更新となっていた。

 この時、心のどこかで、嫌な予感というか虫の知らせというか……。なんとなく、元気な太郎くんをいっぱい撮っておけるチャンスだと思っていた。そして、太郎くんと濃厚な時間を過ごすことができる時間だと。コロナ禍の在宅勤務中にも思った。きっと、例えば果汁100%のりんごジュース1リットルみたいに一緒に過ごせる時間は限りがあるのかもしれない。だとしたら、その果汁を薄めて10リットルに増やして長く愛飲するか、100%のまま1リットルを贅沢に飲むのか、それは途中途中の意思で選択し変更することもできれば、宿命という抗えず止むを得ない変更もあるだろう。
 コロナ禍になる前の私は、フルタイムの仕事で平日は遅く家に帰っていたし、週末は旅行など出かけることが多かった。太郎くんとは、寝る時間や休日の散歩など限られた時間しか一緒に過ごすことができなかった。それが、急にコロナ禍と母の入院で、太郎くん100%の生活になった。つまり果汁を薄めることをやめ、100%に濃縮した状態で過ごすことになったのだ。それはとても嬉しかった。幸せだった。

 でも心のどこかで、感じていた。「何かある」と。

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