#77 そして私は大馬鹿者だと心底思った日 2021.1.21 ⑨

お父たん、抜いたよ!

 家に着き、母は予想を遥かに超えた遅い帰りに待ちくたびれ、疲れきっていた。

 私はその都度、心配しない程度のラインを送っていたが、状況がわからないだけにずっとやきもきしていたに違いない。

 実は帰りの車で、母にはどう話そうか考えていた。

 母は先月退院したばかりだ。病気だって完治しているわけではない。太郎くんに会うためにつらい入院生活を乗り越えてきた。

 めでたく退院してきたら、太郎くんが「胃がん」、「副腎がん」かもしれない。
 そんな酷なこと誰が話せるだろうか。

 でも、これからの治療。そして自分自身、感情が隠せる性格ではない。長年一緒にいる娘のことなんて全てお見通しだ。嘘を隠し通せるわけなんてない。ましてや太郎くんのことだ。私は、正直に話そうと決めた。

 そうでないと、これから私がしようとすることに母は反対するだろうから。それも深刻さがわからないと「太郎くんがかわいそうだから、やめて!」と絶対に引き止めるのが目に見えていたから。

 母は、帰ってきた瞬間の父と私の表情で察していた。太郎くんも疲れ果ていたから。

 母は言った。

「はっきりわかってよかったじゃない。治療していけば治るんでしょ。治るんでしょ?」

「うん、治る!」

 その返事に私は微塵の嘘はなかった。本当に治すと決めたから。
 それは、疲れ果てていた太郎くんにも伝わっていたと思う。

 父が、二階の部屋へ上がった。まだ私は父にも具体的な事は話していない。私も父の部屋に一緒に入り、先生の図をみせ全てを話した。
 父は小さく頷いた。私に任せると。ただ、太郎くんを苦しめる治療をして時間だけ伸ばし苦しめて長生きさせるような事は反対だと。

 それは私も同じ。でも、薬を飲んでもらう、食べてもらう。これだけは頑張ってもらいたい。
 そして、セカンドオピニオンとホームドクターをうまく使い分けようと誓い合った。

 私には大きな仕事が残っている。母の元に戻り、太郎くんの真実を伝えた。でもはっきりは言えなかった。胃に腫瘍があることを悪性か良性には触れずに伝えた。
 肝臓に腫瘍があった母には自分が治ったのだから、太郎くんも消えて治るだろうと楽観的に捉えていた。母には深刻さが伝わっていなような気がした。いや、これは言わないと。

「もしかしたら、悪性かもしれない」

 余計な一言を付け加えてしまった。

 後から分かった事だが、この時の母はやはり太郎くんはガンだという認識はなかった。この日から約2ヶ月後、母と喧嘩になった時、母は私に「あの日、ガンかもしれないって話だったから、治るって信じてたのよ」と怒りをぶちまけたから。

 しかしこの時は、私の一言のせいで、母は心身衰弱し、やっと戻ってきた母をも失ってしまうのではという恐怖に包まれた。と同時に、自分の愚かさに腹を立て、どこにもぶつけられない悲しみや悔しさ、どうして太郎くんがという処理しきれない感情をどこで吐き出したらいいのか。でも、そんな暇はない冷静になろう。前を向こう……

 それはただ、私だけのノートにぶつけられた。

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