【命日】初代太郎くんの35回目の命日

 今日11月25日は、初代太郎くんのなんと35回目の命日。
 もうあの世ではベテラン陣。何回も生まれ変わっているかもしない。

 初代太郎くん。

太郎くんと母。伊豆にて。初代太郎くんもデカシーズー。骨格しっかり!

 初代太郎くん:ブラック&ホワイト、10キロ
 1983-1986年

 たった3年しか生きられませんでした。無知なわが家の子になった故の短命です。

 このブログをスタートさせて迎える命日なので、私とシーズーとの出会いを振り返ってみようと思います。

 当時、茨城の小学生だった私。一人っ子。何がきっかけかは忘れましたが、犬が飼いたくなったのです。よくある、”小学生の子がペット欲しくなる病”です。私は父を説得するためにお弁当に添えた割り箸に、マジックで、「犬がほしい」、「私が面倒見るから飼って。お願いします」みたいなことを短冊のように書いた記憶が残っています。

 じゃあ、わかったと父と近所のペットショップへ。奥に入ると、薄暗い店内が一層薄暗く……レジ前にあったゲージのタワーが目に入りました。一つのゲージに仔犬が一頭ずつ。それが、三段に積み重なっていたのです。

 値段は、30,000円。(激安! いくら昭和だからって、そんなに物価も今と大差ないですよー。お年玉の相場だって今とそんな変わらないし。ただ当時はまだ犬を買うっていう感覚がなかっただけだと思います。)

 犬種「シーズー」。シーズー? これは犬なの? 猫みたいだけど??

 当時、犬といったら、雑種か柴犬。血統書の犬といえば、コリーとマルチーズが流行り出した頃だったと思います。こんな犬見たことない!

 すぐに買って帰ったのか、数日検討したのかは憶えていないのだけど、大神家の長男となりました。名前は母が決めました。当時、映画『南極物語』が話題で、タロのように逞しく元気に育って欲しいという願いを込めて「太郎」。(わが家では、タロジロは、太郎次郎だと思っていたのです(苦笑))

 散歩すれば、猫は首を傾げるし、すれ違う人も「何あれ?」状態(笑)

 でも「かわいい」という感覚はのちの人気犬種になるだけあって、口を揃えて「かわいい」と目を細めていました。自慢の太郎くんでした!(それは今も変わらない!)そして、「あーかわいい」、「いいな〜」と言っている子に、「うちの犬だよ」というのが快感という性格の悪さ……。(あ、これも今も変わらない!)

庭で、空気の抜けたドッジボールで遊んだね〜

 でも、それだけに育て方もよくわからず、情報不足だったのです。

 やっと本屋さんで「シーズー」と書いてある本を見つけたけど、シーズーの歴史本みたな内容。ロングヘアで前髪を結んでいるシーズーしか載っていませんでした。(家のどこかにあるはず!)

 今思えば、茨城の田舎によく「シーズー」が販売されていたなと不思議に思います。(現在もそのペットショップの本店はあるみたい。シーズーがいたら初代太郎くんの血が流れているのかしら? その気になったら調べてみようと思います。)

 そして、愛情は間違った方向へ。太郎くんが欲しいものは何でもあげて、味もつけておいしくと。私も何でもあげました。当時、動物病院も悪徳でヤブという噂のところしかなく、そこへ行ったのは亡くなる2日前だけ。そんな状態だものワクチンもしていませんでした。犬のごはんも、愛犬元気とペティグリーチャムくらいしかなかった。そのくらい、ペット産業黎明期でした。トリミングサロンも当然なかった。だから、父がガチャガチャ切って、いつも虎刈りでした……

 結果、肥満となり、今でいう生活習慣病になったのだと思います。

 3才で元気盛りなはずなのに、「大人になったから落ち着いたのかね」なんて馬鹿なことを家族で話していました。それが間違いだと気づいた時にはもう歩けなかった。亡くなる3日前のことでした。

 そして1986年11月25日は、木枯らしが吹いて寒い日だった。小泉今日子さんの『木枯らしに吹かれて』がベストテンだったか歌番組で流れていたっけ。

 ストーブを焚いて太郎くんはリビングで寝かせていた。母と私は台所で夕食の片付けをしていた。すると太郎くんがトボトボ歩いてきて……

 母が「寝てなきゃダメよ」と太郎くんを抱っこして布団にまた寝かせた。そして、寝たかな?と思ってそばに行くと、息を引き取っていました。

 あれは、お別れのあいさつだったんだね……と。

 翌日、私が学校に行っている間、両親は車で1時間ほど行った先にペット霊園を見つけ、そこで太郎くんを預けることにした。母はあんなに寂しいところに太郎くんを置いてきてしまったと一晩中ずっと泣いていたのを覚えています。
 その翌日。私も一緒に骨になった太郎くんを迎えに行ったのでした。

 とにかく悲しい死だった。

 その経験があったから、2代目太郎くんの時は、保護犬で栄養失調だったけれど14才半まで生きられたし(それでもまだ生きて欲しかった)、ペットサービスも行き届いたものが多く心が温まった。ペット産業革命をひしひしと感じたのでした。

 初代太郎くんはシーズーは無名時代。私にとって、弟。
 2代目太郎くんはシーズー人気絶頂期。私にとって、友。
 3代目太郎くんはシーズー殿堂入り。私にとって、息子。

 シーズーとともに人生を歩んできました。

 歴代太郎くんたちが教えてくれたことを大切に、もしこの先再びシーズー4代め太郎くんに出会えることができたなら、健康で長生きして欲しい。

 願うことは、ただそれだけです。

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