#48 そして3日ぶりに日記を書いた日 2021.1.5 ②

お友達と一緒にねんねzzz

 点滴の時間(17:30)まで、ここ一週間の中で一番調子がよかった。なのに、スーパーのハシゴをしてしまったせいで、家に着いたら太郎くんに震えが。

 きっと、点滴のせいで1時間後に震えが出るのかもしれない。今まで食べたせいだと思っていたけれど違うんだ。想像より皮下点滴は負担なんだ。だから、それまでに食べ物を入れておかなきゃだった。

 そして、母が太郎くんにべったりすることにも不安に思ってしまう。太郎くんにとってまだストレスなんじゃないかとヒヤヒヤする。でもそれを言えないつらさ。グッと堪える。母と太郎ちゃんの関係性がわからないままだから、安心して任せられない。

 そんなこと母には言えないから、我慢しているけれどそれが私のストレスとなってしまう。母もまだ体調不良だから、時折、口撃が激しい。私自身、太郎くんに食べさせる時間はピリピリしてしまう。そんな時に母からの口撃を受けると、気が狂いそうだ。

 母は高熱の障害か、今までの母とは明かに違う。キレやすい。イライラすることが我慢できないように思う。そんなこと本人には言えない。

 今日も病院に行く前なら、太郎くんもこの調子で良くなる! という気がしたし、それなら、明後日に会社へ行っても大丈夫かなという気がしていた。

 でも、また不安に逆戻り。今夜もまた夜中2〜3時に吐いて、気持ち悪そうにうろうろしている日に戻ってしまうんじゃないかと。 あ……私も食欲ない。

 全てがイヤになってきた。 でも、太郎くんがいなくなるのは絶対にイヤ!

 先生だって、お正月休みを返上して頑張ってくれているんだから、私をもう少し心から信頼しなきゃ。太郎くんが治るように、私は深呼吸をしてピリピリせずに、あったかい心で包み込まなきゃ。

2021.1.5 太郎くんの闘病日記より

 3日ぶりに書いた日記でした。

 この頃、私自身の疲れもピーク……
 そして、母と私の衝突が激しくなった時期でした。

 太郎くんと母の関係性もよくわからないまま、太郎くんは具合が悪くなり、結局太郎くんは最期まで母のことをどう思っていたのかわからないままでした。母も、退院してからの太郎くんは私のことを知らないおばさんって感じだったわと今でもそう話します。

 こんな関係のまま終わらせてしまったことがやるせなかったです。太郎くんの闘病中は太郎くんと母だけにすることには不安がありました。この日が原因でもあるから。太郎くんが元気になって、母との関係が元通りになることをどんなに願ったことか。

 2日後の1月7日は出社予定日でした。それに怯えていました。太郎くんの退院後に離れることが初めてでその間に何かあったらどうしようと。

 一方で、治療に対する疑念が膨らんできた時です。皮下点滴の効果と後遺症もわからないままでした。皮下点滴をした後は食欲が出たり、震えたり。これは効果があるのかないのか。

 思うように治らない現実が、ホームドクターへの不信感を募らせました。この不信感がイライラに繋がり太郎くんに悪影響しているのではないか。よくなることを妨げているのでないか。だから、ホームドクターを信じよう。

 この葛藤が最大のストレスでした……

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